寄宿寮記念碑完成感謝礼拝挨拶
西村 俊彦
「希望を持って喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。・・・・
泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜びなさい。 ロマ書12:12−15」
寄宿寮卒業生ならびに教職員OBの皆様、本日は寄宿寮OB会総会、講演会、寮記念碑除幕式にお出でいただき、感謝申し上げます。
寄宿寮は昨年9月に閉寮記念礼拝を行い、その50年にわたる歴史の幕を閉じました。
その記念礼拝の中で森田先生は次のように述べられました。
「建物としての寮はこれですべて無くなり、寂しい気もしますが、寮は建物ではありません。寮を巣立っていく卒業生の皆さんの中に寮は永遠に存在し続けます。」
旧約聖書のゼカリア書に「日暮れてなお光あり」というみ言葉があります。寮が閉じられ建物が無くなっても、寮生と、寮に関わった先生方の心の中には、いつまでも寮生活の灯火は消えることはありません。すなわち共に学び、共に生活し、共に祈り、友情を深めた青春の日々はいつまでも消えることなく私たちの心の中に灯を灯し続けるでしょう。
本日読んでいただいたロマ書12章12節以下の言葉は、私が教員として本校に勤務しているとき実感したみ言葉であります。
「希望を持って喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。・・・・
泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜びなさい。 ロマ書12:12−15」
これは、パウロの生き様でもあり、寮生の生き様をも物語っています。若き日の皆さんの寮生活はまさに「希望と、苦難と、祈り」の日々ではなかったでしょうか?。同時にこのパウロの言葉は、教員として立教に勤務する私を支えてくれた言葉でもありました。
今まさに皆さんは卒寮して何十年か経っています。しかし、寄宿寮での思い出は先生にとっても寮生にとってもロマ書の「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という生活そのものでありました。寮生活は今思い出しても、大いに喜び、大いに泣いた忘れがたい日々でありました。
ところで、私たちは、今年の5月に天に召された酒向先生が寮生のために作詞作曲された名曲「Bye
My Friend」の意味が本当に実感できる年頃になりました。
「楽しい日々も 悲しみの時も はるか彼方の 思い出の月日
たとえ別れていくとも 心の支えになろう Bye My Friend」
そして3番で、
「いつか君たちも 思い出すだろう はるか彼方の さよならの歌を
さよなら さよーなら 君たちに会えてよかった Bye My Friend」
今まさに皆さんは卒業して何十年か経過しています。しかし、共に学び、共に喜び、共に泣いた青春の日々を私たちは共有してきました。そして、今何十年か経って「はるか彼方のさよならの歌を・・・さよよなら、さよーなら、君たちに会えてよかった・・・」と今つくづくそう思える年代になりました。
私はOBの皆さんにお会いできるのが本当に楽しみです。「君たちに会えてよかった」と心から感じています。教え子が40歳、50歳、60歳なった分、先生方も同じく歳をとっているわけですが、つくづく寮の先生をしていて良かったなと思っています。それは、腕白で手を焼いた生徒たちの−中には先生を支えてくれた人もいましたが−今や立派に社会人として成長された姿にお会いできるからです。
さて、本日お披露目する寮の記念碑は、寮の卒業生であり彫刻家である三坂制さんのご尽力によって制作されました。記念碑の大きさは高さが約170cmで、上半分には「ほお杖をついて窓から外を眺めている少年像」があります。この姿は私には、寮生が故郷を思い遠くを眺めているのか、あるいは忙しい寮生活の息抜きをしているのか、見る人になにかほのぼのとしたものを感じさせてくれます。下半分の碑文には「青春の日々ここに在り」と書かせていただきました。まさに、皆さんにとっては高校3年間、親元を離れて過ごした楽しい日々も、悲しみの時もかけがえのない「青春の日々」であったからであります。寮のシンボルとしていつまでも大切にしていただきたいと思います。
三坂さんにはお忙しい中、何度もご来校いただき、このように思い出深い記念碑を制作いただきまして心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
また、本日のためにご準備いただいた寮OB会役員の皆様にも御礼申し上げます。
寮OBの皆様、ご来賓の皆様、本日は時間の許す限り旧交を温め、発展を続ける立教新座中高をご覧いただき、ごゆっくりとお過ごしいただければ幸いであります。 |
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